「永福町研究の第1級資料か、中川一政の【永福寺雑記】で述べた問題に思いがけない方向から光が当たった」
「どんな問題だい?」
永福町駅は昭和8年、帝都電鉄の渋谷ー井の頭駅間の開通(翌9年に吉祥寺駅まで延伸)と同時に開設されました。当時のことを洋画家の中川一政は、随筆『永福寺雑記』で「私の家からニ町程裏手、廃道になった檪林の中の所沢街道を出た所に駅が出来、永福町と云う名が付いた」と記しています
「この中の所沢街道とは何かと言う問題だ」
「ふむふむ」
「当初、これは青梅街道の鍋屋横町から北西に分岐する所沢道のことだと解釈して考えていた。これでは話が矛盾する。しかし、都道問題を調べている時にあることに気づいた。東京都道・埼玉県道4号東京所沢線は田無のあたりまで青梅街道と重複なのだ。そして、この道路の青梅街道から分岐した先の名称が【所沢街道】なのだ」
「まさか」
「青梅街道との重複区間まで含めて全て所沢街道だと解釈してみよう。そうすると全てがすっきりする。井の頭通りがまだ存在しない時代、所沢街道=青梅街道から入ったところに永福町駅ができた……と言ったところで間違いとは言えなくなる」
「なるほど。所沢街道=青梅街道説だね」
「だが、これは話の半分だ」
どっちがメインだ §
「実は地図で田無の青梅街道と所沢街道分離部分を見ていて驚いた」
「何がだい?」
「直進すると都道4号つまり所沢街道。曲がると都道5号つまり青梅街道」
「どういうことだい?」
「我々は杉並区内のこの道を慣習的に【青梅街道】と呼んでいるし、正式名称も【青梅街道】だ。しかし、実際には都道4号と5号の重複区間だ。これを【所沢街道】と呼んでも間違いではないような気がする。むしろ政治力で名称が決定されているだけで、実は道路の接続具合としては【青梅街道】よりも【所沢街道】の方が適切ではないか」
「なんと大胆な主張だ」
「だから、あれを【所沢街道】と呼んでも間違いではないのではないか。正式名称ではないが」
オマケ §
「接続の問題として捉えると実は疑問を持っているものが他にあった」
「それはなんだい?」
「神田川」
「えー」
「どう見ても接続具合を見ると神田川より妙正寺川、善福寺川の方が自然に思えるのだ」